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 高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道で、弘法大師空海が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきた。
 2004年7月に、高野山とともに『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。また、国指定の史跡でもある。登録名は「高野山町石」。
 高野山への道標(道しるべ)として、1町(約109m)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3m強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22kmの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4kmの道中に36基の、合計216基の町石が置かれている。また、慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに「里石(りいし)」が合計4基置かれている。
 町石は、弘法大師空海が開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったが、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代1265年頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて1285年に完成した。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えている。
 かつては高野巡礼の人々が町石のひとつひとつに手を合わせて礼拝しながら登ったと言われているが、現在では道も整備され気軽に歩けるハイキングコースともなっている。

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